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はじめに 2000/04/04
寺町へのアクセス 1997/01/07
寺町の歴史 2000/04/04

今から1200年前、桓武天皇が唐の長安を模倣して碁盤の目状に平安京を構築したのは有名な話ですが、その当時東の端にあたる通りが「寺町通り」の始まりでした。地球の北の端を北極と言うように、京の端を京極大路と呼び、東の端は東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)と呼んだそうです。現在繁華街となっている河原町通り(寺町通りの東隣)は、当時は本当に鴨川の河原だったようです。

その後、平安京の衰退に伴ないこの通りも廃れていきましたが、安土桃山時代 (天正19年:1591年)、関白豊臣秀吉が、洛中と洛外を区別するためおよび水防のため京都の町を取り囲むように延長24kmに及ぶ「御土居(土塁の壁)」を築きました。また御土居の数箇所に関所を設けて入洛者を検分しました。(京都の地名で「荒神口」「粟田口」「丹波口」など、「口」のつく地名は関所のあった名残。)そして市街整備の目的で、洛中に点在していた寺院の多くを1箇所に集めようと東京極大路に移転させたという事です。

当時の御土居は鴨川の西側に南北に築かれており、誘致された寺院は東京極大路の東側に東京極大路側を正面とし、御土居を背にして建てられました。そして、寺院が立ち並ぶこの通りに「寺町」という名を付けたのも太閤秀吉だったそうです。

この「寺町通り」には歴史的に有名なお寺も多く、特に織田信長が明智光秀に討たれた(とされる)本能寺が有名ですね。(実は当時の本能寺は今でいう蛸薬師西洞院にあり、明智光秀に焼き払われた後、再建のときに秀吉の命によって現在の位置に移転させられそうですが。)

それから明治までのあいだ、この通りの寺院の境内が縁日の格好の舞台として利用されていたため、「寺町通り」周辺は見世物や催し物を中心に発展していきました。そして明治5年、当時の京都府知事・槙村正直がこの地域を京都の新しい繁華街とする事と決め、「寺町通り」東側に新しく道路をつくり、通りの両側には見世物、興行場などの店舗を誘致したのが現在の「新京極通り」となります。

また、明治28年から大正15年まで、「寺町通り」の丸太町通りから二条通りの間に路面電車が走っていました。当時は、河原町通りではなく「寺町通り」こそが京都のメインストリートだったようですね。

著作権・リンクについて 2000/05/31
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